SDGsやESG投資、多様性などとあわせて、世界的に注目を集めているのが「人的資本」「人的資本経営」です。本記事では、人的資本についての概要をはじめ、人的資源との違いや、人的資本が注目される背景のほか、注力するメリット、いわゆる「3P5Fモデル」、人的資本を高める方法などを解説します。
人的資本とは?
まずは、人的資本・人的資本経営の概要と、従来の人的資源との違いなどについて解説します。人的資本の意味
「人的資本(HumanCapital)」とは、企業の構成員としての個々人が持つ知識や能力、経験などを、企業の価値を向上させる源泉であると捉えた考え方です。ただし、その定義にまだ定まったものはありません。その起源は世紀まで遡ります。「神の見えざる手」で知られる経済学の父アダム・スミスは、著作「国富論」の中で、熟練した技能が求められる職業のために育成された人材を、高価な機械になぞらえました。そして1960年代、アメリカの経済学者ゲイリー・ベッカーらが、アダム・スミスの概念を再定義したことで、広く認知されるようになったとされています。人的資本をどう捉えるかは企業によっても異なりますが、内閣官房では次のように定義しています。
“「人的資本」とは、人材が、教育や研修、日々の業務等を通じて自己の能力や経験、意欲を向上・蓄積することで付加価値創造に資する存在であり、事業環境の変化、経営戦略の転換にともない内外から登用・確保するものであることなど、価値を創造する源泉である「資本」としての性質を有することに着目した表現である。”
引用元:内閣官房非財務情報可視化研究会|人的資本可視化指針(PDF資料)P1「1.1.人的資本の可視化へ高まる期待」
人的資本経営とは
「人的資本経営」とは、人材を企業の資本と捉え、人材戦略を経営戦略に紐づけることで、持続的な企業価値の向上を図る経営の在り方です。人的資本経営では、人材の採用やリテンション(人材の確保)などを戦略的に行います。企業の構成員としての個々人の価値を改めて認識し、その能力を最大限に発揮するための環境を再構築するなどして、中長期的に人材資本を創出していくことが、今後の企業に求められています。
後述する経産省の「人材版伊藤レポート」でも、従来の「人材=資源」とする経営戦略と人事戦略、そして今後の人材戦略の在り方について比較されています。
人的資本と人的資源の違い
従来、人材への投資は一般的にコストとしてみなされており、文字どおり消費・利用する「人的資源(HumanResource)」という表現を用いるのが一般的でした。一方、人的資本は消費するものでなく、投資の対象です。教育・研修、日々の業務も含めた最適な投資を行って各人材のスキルを最大限に引き出すことが継続的な企業価値向上に直結するという考えが、投資家などのステークホルダーにも広まりを見せています。資源はいずれ枯渇しますが、資本は成長が見込めるという点が、人的資源と人的資源の本質的な違いです。
人的資本(人的資本経営)が注目を集める背景
人材を投資の対象とする人的資本経営は、世界的に注目を集めています。その背景には、次のような要因があります。働き方・人材の多様化
近年では従来の画一的な働き方は少しずつ改善され、シニア登用や外国人の採用なども含め、多様化しつつあります。しかし、いまだに年齢や病気、障害、育児や介護などのケアワーク、言語・文化の違いといった要因で、働く時間を減らさざるを得なかったり、働くことが困難であったりする方は少なくありません。そのため企業は、貴重な人材を掘り起こすという観点からも、個々のニーズや状況にあわせて、より柔軟で充足感のある働き方を提供することが求められています。DXにともなう人的資本価値への注目
人材不足を補うためにも、今やDX(デジタルトランスフォーメーション)は欠かせません。しかし、そのDXを推進するための人材自体も不足していることが、企業のビジネスの妨げになっています。そのため、外部のIT専門家やベンダーに頼ると同時に、コードが不要なアプリケーションのカスタマイズや比較的平易なデータ分析などを行える人材を社内で育成することも重要です。そうすることで、投資は少数の戦略的システムの運用などに絞れます。ESG投資への関心
「ESG投資」への関心が高まっているのも要因です。ESGは「Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)」の頭文字を取ったもので、従来の財務情報だけでなく、人的資本などの非財務情報も重要視する投資のことです。2006年に発表されたPRI(国連責任投資原則)で提唱されました。非財務情報にはさまざまなものが含まれますが、「S(社会)」に該当する人的資本もそのひとつです。近年は社会の持続可能性に対するリテラシーが高まり、企業の競争優位の源泉は無形価値にあるという認識が高まりつつあり、ESGにも積極的に関与することが、企業価値の向上にも直結します。世界的な潮流
SDGsの達成に向けた世界的な取り組みも、人的資本経営が推進される理由のひとつです。SDGsは17項目ありますが、そのうち人的資本に関わるゴールは「貧困をなくそう」「ジェンダー平等を実現しよう」「働きがいも経済成長も」「人や国の不平等をなくそう」など、多数を占めています。そのことから、SDGsを達成するためにも、人的資本経営は有効な手段のひとつだと認識されています。2020年に米国証券取引委員会(SEC)が上場企業の人的資本の開示を義務化し、2023年には日本もそれに続きました。日本では「SDSN(国連持続可能な開発ソリューションネットワーク)」が発表する「持続可能な開発報告書2023」において、特にジェンダー平等などの5項目で大きな課題が残っています。それらを達成ルートに乗せるという観点からも、人的資本経営は大きなポイントです。経済産業省「人材版伊藤レポート」の公開
日本においては、経済産業省が2020年に「人材版伊藤レポート」を公開したことも、人的資本経営が注目されている理由として挙げられます。このレポートは、2020年1月から経済産業省で開催された「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の最終報告書の通称です。レポートでは、人的資本の観点から経営戦略や企業意義(パーパス)を問い直すことが企業の継続的成長のために不可欠であるとされています。同レポートが与えたインパクトは非常に大きいものでした。さらに2022年には「人材版伊藤レポート2.0」も公表され、企業が果たすべき役割や人材戦略のアイディアなどが、より深掘りされています。
参照元:経済産業省|持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~
参照元:経済産業省|「人材版伊藤レポート2.0」を取りまとめました
人的資本(人的資本経営)に注力するメリット
世界的な潮流である人的資本・人的資本経営ですが、企業がそれに取り組むことで、次のようなメリットを得られます。従業員の能力を可視化できる
人的資本経営では、経営者、従業員、投資家などのステークホルダーが同じ認識とビジョンを共有し、相互理解を深めることが欠かせません。そのためには人的資本の可視化が不可欠ですが、前提として各従業員の経験・能力を把握し、人材ポートフォリオを作成することが求められます。人材ポートフォリオは各人材の能力やキャリア志向などを分類し、企業価値を最大化する人材配置の構成を可視化するものです。この人材ポートフォリオの作成・継続的な見直しを人材戦略の土台とすることで、各従業員のパフォーマンスなどを、より客観的に測れるようになります。従業員エンゲージメントが高まる
従業員エンゲージメントとは、従業員が企業に対して抱く信頼感、愛着、熱意や貢献意欲といった概念です。従業員それぞれの知識やスキル、価値観などを改めて知り、それらを最大限に発揮できる環境をつくることで従業員エンゲージメントの向上を目指します。従業員エンゲージメントの向上は、ひいては企業価値の向上にもつながります。具体的な対策としては、組織の中で得る経験・体験を指す「従業員エクスペリエンス(従業員体験)」を向上させる取り組みが有効です。企業価値の共有、個別性・多様性の重視、リスキル(学び直し)機会の提供、画一的でないキャリアパスの支援なども必要です。生産性が向上する
従業員のリスキルや多様性を生かした適材適所への配置などにより、生産性の向上につながります。加えて、従業員エンゲージメントが高いということは、企業への理解度や愛着なども高いことを意味するため、意欲的・自律的に企業戦略の実現などに向けた取り組みを行ってくれると期待できます。また、従業員エンゲージメントが高く顧客への理解・共感を深める従業員ほど、顧客体験(カスタマーエクスペリエンス)の向上に貢献するとされています。投資先として注目を集められる
前述のとおり、投資家は短期的な利益だけでなく、環境への配慮、社会的規範、コーポレートガバナンスの3項目を、企業を評価する際の指標として重視しています。しかし、特に日本企業は開示情報が不十分で企業の存在意義(パーパス)が伝わらないことも少なくありません。そのため、ESGに関わる格付けや認証機関などを活用しながら定量化・可視化して積極的に開示することが大切です。そうすることで、今後より投資家の評価を得られやすくなります。人的資本経営に必要な視点・要素の「3P・5Fモデル」
冒頭でふれた「人材版伊藤レポート」では、人的資本経営を実現するために「3P・5Fモデル」というフレームワークが提唱されています。本章では、その内容を解説します。
【3P】人材戦略を検討する際の3つの俯瞰視点
企業によって異なる場合がありますが、次の3つの視点(Perspectives)を持つことが欠かせないとされています。①経営戦略と人材戦略の連動
経営戦略と人材戦略は連動させなければなりません。各企業は自社の経営戦略・ビジネスモデルを改めて見直した上で、その実現を支える人材戦略を含めて具体的に策定・実行することが必要です。効果測定のために適切なKPIを設定することも求められます。②Asis-Tobeギャップの定量把握
「AsIs(現状)」と「ToBe(目標)」のギャップを定量的に把握することで、人材戦略が経営戦略・ビジネスモデルと連動しているかを判断し、人材戦略を常に見直していくことも大切です。リスキルなどの人材投資のリターンも定量的に把握し、ストーリー性を持たせながらステークホルダーに開示・発信することも重要とされています。③企業文化への定着
人材戦略を策定する前段階として企業理念・企業の存在意義(パーパス)を明確にし、企業文化として定着させることも必要不可欠です。従業員エンゲージメントの向上にあたっても、企業と多様な従業員の成長の方向性を一致させていくことが求められます。【5F】業種を問わず共通して取り組むべき5つの人材戦略要素
また、次に挙げる5つの共通要素(CommonFactors)が、具体的な人材戦略に関する内容として抽出されています。①動的な人材ポートフォリオ
継続的に企業価値を向上させるためには、まずは人材戦略上の優先事項を明確にした上で、ビジネスモデル・経営戦略と連動した中長期的な人材ポートフォリオを作成し、人材戦略の大枠を作成することが求められます。その後、継続的に人材の質的・量的の両面からToBeとのギャップを見極め、適時適切なアクションを起こすことが大切です。これにより、動的な人材ポートフォリオの最適化をめざします。②知・経験のダイバーシティ&インクルージョン(D&I)
特にダイバーシティ(多様性)には、性別や障害の有無など外見から見分けられる「表層的ダイバーシティ」と、宗教や価値観、キャリアなど外観からは判断できない「深層的ダイバーシティ」があります。同レポートでは、表層的ダイバーシティを推進するだけでなく、多様な視点、能力・経験、価値観などを掛け合わせることが、D&IやDEIの実現、イノベーションの原動力になるとされています。③リスキル・学び直し
従業員それぞれの自律的なキャリア構築を促すことも求められています。また、多様化を阻むアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)を取り去れるようサポートすることも欠かせません。DXを実現するためにも、ITリテラシーの向上は必須です。同レポートではスキルアップの結果としての離職を危惧する意見にも言及されていますが、一定程度の人材の流動性は健全であり、かえって多様な価値観を持つ人材を取り込むことにつながると結論づけています。④従業員エンゲージメント
従業員エンゲージメントの向上は、持続的な企業価値向上のために不可欠です。そのためには、企業と個人が対等な関係性を築き、それを前提に企業と従業員が成長の方向性を一致させることが欠かせません。企業が積極的に従業員エンゲージメント向上に取り組むことで、離職率や採用コストの低下につながり、中長期的な人的資本経営に大きく貢献するとされています。⑤時間や場所にとらわれない働き方
国内外の優秀な人材を確保するためにも、時間・場所に縛られずに働ける環境を構築することが求められています。その際は、リモートワークでも業務を円滑に進められるよう、業務プロセスやコミュニケーションの取り方、情報セキュリティ対策の見直しを行うことも必要です。また、従業員が出社しなくても業務を継続できる体制を平時から構築しておくことは、BCP(事業継続計画)の観点からも重要です。人的資本の高め方
人的資本を高めるための具体的な方法は企業によって異なりますが、次のポイントはどの組織にも共通して重要です。人材戦略を推進させる
企業の存在意義(パーパス)などと人材戦略を連動させることが重要です。そして、それを実現するためにどのような人材を採用・育成し処遇するかを明確にした「人材ポリシー」と人材ポートフォリオ、そして、どのように実現していくのかの「人材ロードマップ」を定めましょう。それに沿って、既存の従業員の適材適所への配置、評価・処遇の見直し、マネジメント人材も含めた人材育成の強化を行います。その際には、各施策に対する効果測定も必須です。また、新卒一括採用にこだわらず、求める人材要件に対する既存概念を刷新して、中長期的な視点に立ち、今まで採用してこなかった層へのアプローチを検討するのも有効です。人材育成を強化する
世界的に人材不足である中、特にIT人材は希少です。そのため必ずしも専門的な知識ではなくとも、クラウドやAI、ビッグデータ、情報セキュリティなどの基礎や概念のトレーニングを行うことが大切です。そうすることで、IT分野に詳しい従業員に質問が集中し、本来業務が滞ってしまうような事態も防げるようになります。また、多くの企業がビジネスマナーの研修を実施していますが、そこにグローバルコミュニケーションやデザイン思考、クリティカルシンキング、アジャイル思考など、近年のビジネスで欠かせないビジネススキルを追加するのも有効です。また、多様な従業員の「Will・Can・Must」、つまり「やりたいこと」「できること」「すべきこと」の3要素を明確にした上で、自律的なキャリア構築のサポートを行いましょう。従業員エンゲージメントを向上させる
従業員エンゲージメントの向上は、人的資本経営を実現する上で欠かせません。企業と従業員は対等であるとマインドセットを行い、従業員から企業への愛着や信頼感を持ってもらえるよう、積極的かつオープンに存在意義(パーパス)などを発信し、共感を得ていく取り組みを行いましょう。従業員エンゲージメントを可視化し、継続的なKPIの測定・改善策の実行を繰り返すことも大切です。それと同時に、従業員が安全・快適に働けるように、ITツールの導入・活用に力を入れることも重要です。例えばワークマネジメントプラットフォーム「Asana」を活用すれば、チームと各従業員が取り組んでいるタスクの状況を可視化できるため、物理的に離れた場所で勤務をしていても、ひとつのチームとしてオープンに連携できます。各タスクが可視化されることでマネジメントの質も高くなるため、従業員エンゲージメントの向上に寄与します。
関連ページ:Asana|ワークマネジメントプラットフォーム
人的資本の開示義務化について
最後に、大企業の義務となった人的資本の開示について解説します。大企業はもちろん、中小企業も人的資本を投資家などのステークホルダーに開示することで、資金を調達しやすくなるなどのメリットがあります。世界:ISO30414
モノやマネジメントシステムの国際的な基準を定める「国際標準化機構(ISO)」が発表した「ISO30414」は、企業の人的資本に関する情報の収集、定性化・定量化、報告のためのガイドラインです。日本ではまだ一般化していませんが、米証券取引委員会が上場企業へ人的資本の開示を義務化したことを機に策定され、世界中で注目を集めるようになりました。ダイバーシティ、生産性、コンプライアンスと倫理など11領域・49指標・58項目があり、その多くに計算式が設定されていることから、自社の人的資本に関する客観的な分析・開示が可能です。人的資本の貢献度が可視化され、投資家などのステークホルダーからもポジティブな反応を得られやすくなります。日本
日本でも2023年1月31日「企業内容等の開示に関する内閣府令」が公布・施行され、2023年3月期決算以降、従来は任意であった一部大企業の人的資本・多様性に関する開示が義務化されました。対象となるのは、金融商品取引法第24条において有価証券報告書を発行している大手企業です。もちろん、中小企業が自発的に開示を行っても問題ありません。開示することで、投資家などのステークホルダーへの有効なアピールとなります。開示が必須なのは育成やダイバーシティなどの一部項目ですが、開示項目自体は流動性、コンプライアンス/倫理などの7分野・19項目があります。前述のISO30414も指標となるため、ぜひ活用してください。
参照元:金融庁|「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案に対するパブリックコメントの結果等について
まとめ
人的資本・人的資本経営は、SDGsやESG投資と共に語られることが多く、持続可能なビジネスを実現するために欠かせない概念です。人的資本の理念に基づいた経営を行うためには、多様な従業員の能力や価値観を改めて把握した上で、それぞれが充足感を持って自律的に働けるように適切なサポートを行わなければなりません。そうすることで、継続的な企業価値向上につながります。- カテゴリ:
- 生産性向上